杜のまなざし(38)
~道なき道の歩き方~
野山を歩くとき、出来うる限り目的地を定めない。
また、出来るだけ道の無いところをぶらぶら歩く。ルート上を移動するわけではないから、はなっから迷いようが無い。旅程表を持たぬから、時間に遅れる事も無い。
産業革命以降、「効率」というものが至上の価値を与えられた。
二点間の移動にしても、最短距離を最短時間で、が当たり前に求められる。「効率の良さ」が、あたかも道徳的にも価値あるものの如くにさえ信じて疑わない。
その結果、最短距離、最短時間を達成できない人々は、効率社会から脱落し、ルートから外れて迷い人となる。そうなるとわが身の不幸を嘆く以外ない。
また、近代産業社会は、目的・目標をしっかり意識し、その目的・目標の達成に努力、邁進する事、そのような意味での勤勉であることを善しとする。
そうした目的・目標を見失ったとき、達成できなかったとき、人は自らの能力の欠如や努力不足を責め、不安になり、更に自らの不幸を嘆き悲しむことになる。ともすれば、こうした迷い人に対し、社会は、更なる努力、更なる頑張りを、と𠮟咤激励する。
18世紀半ばから、19世紀にかけて起きた産業革命から、21世紀の今日、AIやIoTなどによる第4次産業革命へと産業や社会の構造変革が起こるとの見方がある。とは言え、「効率化」という呪文は相変わらず社会を呪縛している。
もうそろそろ、「効率」や、「目的主義」の呪縛から人類文化を解き放つ、古くて新しい「意識革命」が起きないものだろうか。
「幸福は求めない方がいい。
求めない眼に、
求めない心に、
求めない体に、
求めない日々に、
人間の幸福はあるようだ。」井上靖の言葉である。
目的地を持たぬぶらぶら歩きは思わぬ出会いの連続を楽しめる。
「注意深くしていないと見逃してしまうくらい何でもないのだけれど、とても貴重でかけがえのない時間というものがある。実はこのような時間を過ごすために生きているのかも知れないとさえ思えるような。」重松徹也の言葉である。
「何気ない細道
目的を持った旅ではなく
あちらこちらさまよい辿りながら行く道
大道から一つ外れた道
田舎道、外れ道
時の旅人の辿る道
ささやかな道
ひそやかな道
静かな道
忘れられた道
何気ない道」 湧水
樹遷記
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