杜のまなざし(11)

「養成塾の風景」④

 第4回養成塾は、再び初回に合宿した金沢の郊外、今回は六月初夏の候、前回と打って変わって、豊かな緑がみんなを迎え入れてくれました。

 『氣の家族』ということを、樹遷さんはよくおっしゃるのです。「これ迄は、血縁、地縁の中で人々は生きてきたが、これからは氣縁というものが大切になってくる」と30年前、最初にお会いした頃から語っておられた。

氣縁によって生み出される場、その居場所が人生を豊かにするんですというお話。正に、それを感じた養成塾でした。参加者みんなが来ると異口同音に、ただいまー!で始まるんです。

 自他の区別がなく、皆昔から兄弟だったような。オープンな、互いにいたわり、いつくしみ合う関係が、共有する時間の隅々に自然と見えるのです。

家族や地域、職場でもなかなかこんな関係は見られません。

 「これから日本は、多くの人々が、孤立化していく。そんな時代の流れ、氣を縁として、絆を育てていける場を、今作る必要が目前にあります。」と、養成塾の冒頭に樹遷さんが語られていたのですが、その意味がこうして見えてきた気がしました。

 『下医は病を治す、中医は人を治す、上医は知らずして時代を治す。』その様な言葉が、東洋医学の伝承にはありますが、正にこの養成塾は、20年後の孤立化の深化した日本社会を癒し、治していく、最初で、そして本質的なムーブメントになるなと、そのために樹遷さん、今、この養成塾を始められたんだなと、お世話役をしていてやっと見えてきました。

 初回からの連続参加の皆さん、人はこんなに短期間で、こうも変わるのかと、ある意味驚きの連続。表情が、立ち居振る舞いが、言動が。氣が変わってきたということなのでしょうが、皆本当に穏やかで、呼吸も深く、そして何より周りへのまなざしがとても優しくなっているのです。

 養成塾は、いのちを養うということ、先ずは自分のいのちを養う=すこやか、という風に考えがちです。私も当初はそんな理解だった様に思います。けれども、季節毎の養成塾開催を重ねる、その都度、樹遷さんから季節の変化の味わいや、自然を大事にしてきた日本人の文化の深さ、そして諸々のいのちと交流することの楽しさなどを、知識ではなく、生身で教わり、体感しているうちに、私たち一人一人の、自然と共に暮らしてきた先祖からの眠っていた「遺伝子」が目覚めたのでしょうか。「自然と共にある我がいのちが愛おしい」、そんな言葉を参加者から聞くようになりました。

 この回は、最終日に参塾者以外の、一日参加の方々も含め、杜のまなざし塾が組まれて医王山の杜に入らせて頂きました。その杜で皆さんが佇む風景は、まさに、自然と共にあるいのちの豊かさ。『ひとつらなりのいのち』という言葉を体感し、そこにあるすこやかさを味わったひと時だった様に思います。

 今回は、塾を支える裏方として、男女の若者が初参加してくれました。

彼らの働き、この間の成長ぶりにも深く感動し、喜びで一杯になりました。その彼らの姿を見ながら、参加者の皆さんが、「いのちを養うとは、自分1人が元気になることではなく、人々のいのちが豊かにはぐくまれること、皆が穏やかに安らげるようになる生き方、更に付け加えるなら、人のみならず、自然界全てのいのち達とも豊かに生きあっていけるような生き方を身につけること、そのような「まなざし」を持てるようになること。それが、養生(ようせい)の思想、念い、哲学ではないだろうかと。

 『いのちは常に双方向(でもあり総方向でもある)。』樹遷さんは常々こう述べられています。養成塾も、樹遷さんと参塾者の一方通行の関係ではなく、参塾者間、参塾者から樹遷さんへと、こうして思いや、知恵のやり取り、紡ぎあいのある場でもあるのです。「一番学ばせて頂いているのは私だろう」と樹遷さんはおっしゃいます。

 この文章を書くにあたり、改めて樹遷さんの書かれた「樹遷の養成塾」という文章を読み返して見ると、そこに既に書かれていました。

『宇宙自然、もろもろのいのち、自然の摂理、いのちひとつらなりを認識し、深めていくなまみの哲学、その体現。』と。

当初は、この文章の意味を、私は頭でしか理解していなかったのですが、一連の養成塾にお世話役として、参塾者として参加してきた今、この文章の意味、養成塾の目指すところがはっきり見えてきた気がしています。

 全てのいのち達と、豊かに、そしてすこやかに癒しあっていく喜びと安心、信頼の生き方、東洋的に言えば、『道』でしょうか。

養生(ようせい)の道、それは自然の一部としての自分を体感、認識し、謙虚に微笑み一杯に人生を生きていくこと。今、この間の体験を通して、私の魂に湧いてきた言葉です。

 今後、養生塾には、生育老病死、様々ないのちの風景にある方々が参加されることと思います。それぞれが今を大切に、共に癒しあって、すこやかに生きあっていける、氣縁の居場所。

自然に寄り添い、全てのいのちを敬い、いのちの波に逆らわず、老い、病、死さえも尊く受け入れていける場。

いのちひとつらなりという、いのちの本来が当たり前のこととして語られ、その様に暮らしていく生き方を深められる場。

 この養生塾が、これからの日本、否世界において必要とされ、大事なものと学ぶ人々が増えてくることを確信しています。その始まりが、私が生まれ育った、この石川から始まることに喜びを感じています。

終わりに、こうしたご縁を頂いた樹遷さんに改めて心からの感謝をお伝えし筆を置きます。

 お読み頂いた方に、少しでも養生塾の風景が届けられたら、有難く思います。

樹伯 記

0コメント

  • 1000 / 1000