杜のまなざし(52)
~クリニコス~
「にいさん、”クリニコス“って識ってるかい?」
その日、初めて会った二十代の路上生活者の「物語り」を、朝から昼近くまで、とつおいつ語るのに耳を傾けていた。ぽつりぽつりと語られた青年の「物語り」がようやくひと段落し青年が立ち去った時、近くの段ボールで囲われた毛布の中から、モソモソと“道傍の哲学者”がはい出して来た。
「ギリシャ語ですね。古代ギリシャ語では病人の枕元で、病人の語るのに耳を傾けること、という意味があったようで、医聖ヒポクラテスが医療の最も大切な心得として弟子たちに説いたと伝わっていますね。現在使われるクリニックの語源です。」
「やっぱりにいさん識っとったか。」
「聞き耳をたてていた訳じゃないが、うつらうつらしながら、あの若いのの話に相づちを打っているにいさんの声が耳に入ってきたんだが、にいさんのやっている事は正にクリニコスだなと思ったよ。」
「ここら辺りにやってくる自称ボランティアとか、福祉関係の連中は、わしらの話を聞き取りに来たと云うけど、結局自分たちの質問したい事だけ聞いて、こちらが本当に聞いてもらいたい事、話したい事をじっくりつきあって聞いてくれる事は無いさ。医者にしたってそうだ。病院に行ったって、検査、検査でわしらの話したい事に耳傾けてくれる医者はいないよ。だから、わしはどんなに調子悪くても病院には行かんし、これまでだんまりを通してきた。」
「ここまで落ちたわしらの話に耳を傾けてくれる奴はいない、とここにいる連中の殆んどはあきらめとる。だけど、本当は皆、気持ちの底では、うんと話をしたい、聞いてもらいたい。同情なんかはいらん。だが、じっくり耳を傾けてもらいたい、そうみんな腹の底では思ってるさ。」
「さっきのあの若いのの話も、全部が全部本当の話じゃあるまいさ。だけど、本人にとっては聞いてもらいたい話さ。にいさんは、それをしんぼう強く聞いとったな。わしらはうそをつく。だけど本人にとってはそれが聞いてもらいたい話さ。」
「私は、人間は物語りを作る動物だと思っています。他人から見たら、事実とは異なっていても、その本人にとって自分自身の物語りは「真実」なんだと思います。そして、「誰しも自分の物語りを誰かに心の底から聞いてもらいたい、話したい。人間は物語りたい動物でもあると思います。そして、人と人がいやし合う原点は、他者の「物語り」を何の批判も分析もせず、耳傾け、受け取る事から始まるように感じています。」
「そうだな。そこだな、にいさん。」
道傍の哲学者は、毛布を体に巻き付けて、自らの思考の淵にゆっくり沈んでいった。夕暮れが来て、そこを離れるまで、私もかたわらに座って一緒に「沈思」の時を過ごした。 樹遷記
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