『いのちの学校~北陸の杜にて』

 コロナ禍の中で産声を上げた『いのちの学校』、その第一囘から典座さんとして、伝え手として参加して下さった樹恩さんから感想文が送られて来た。

 思い返せば、樹恩さんと出合ったのは早30年も以前。樹恩さんも、今回いのちの学校立ち上げを共にして下さった20代の青年たちと同じ年頃だった。全国各地の森を共に歩き巡り、屋久島で共同生活もした。

 30年後、今度は彼が若者たちに語りかけて下さっている。先達方が紡ぎ、積み重ねて来られたいのちの智恵の伝承が、こうして新たな広がりを織り出して行く。 樹遷記



「いのちの学校~北陸の杜にて」                 樹恩(吉椿雅道)

 3月の愛知での「いのちの学校」の立ち上げに参加させていただいた。30年という時を巡って、新たに若者たちの中に生まれた胎動のようなものを感じた。何かを求めて全国各地から集った若者たちの姿は、30年前の自分と重なった。同時にそんな若者たちを微力ながら自分が支える時期が来たのだと思った。

その後、愛知の集いの典座を担った二人の若者と樹伯さんとオンラインで振り返りの会を持った。参加者の感想はどれも若者の感性があふれていた。そして彼女たちは、念いに突き動かされるように懸命に汗をかき、多くの学びを得ていた。その想いを聴くと、30年前の自分が感じた事、学んだ言葉があふれ、彼女たちにお伝えした。彼女たちは、それをしっかりと受け止めてくれたようだった。

6月の北陸の集いは、都合がつかず参加できないはずだったが、急遽予定がキャンセルになり、家族を伴って北陸へと向かった。「コロナ禍の時だからこそ、娘たちに樹遷さんたちと共に北陸のブナの森を味わってもらいたい」と妻と話した事が背中を押した。人前になると少し緊張し、大人しくなる娘たちが、森に入るとすぐに心身が拓いていく感じが見て取れた。自分から先を歩き、ブナの森の氣、そしてお兄ちゃん、お姉ちゃんたちの氣に包まれるようにしっかりと歩いていた。金沢の友人家族も参加してくれ、7歳の娘さんも森で感性が拓いていくようだった。

 医王山の森に入る際に、その作法をお伝えさせていただいた。森の中で目を閉じ、自分の内を味わう。そうすると今まで聞こえていなかった樹々のさざめき、風のささやき、緑の香りに気づく。参加者の方々も自分の体が、そして心が変わっていくことを感じていたようだった。

森で心安らかに息を吐く。そうしているうちに、いつの間にか森からのまなざしに気づき、一方向ではなく双方向に交流していることを感じる。30年前に樹遷さんからお伝えいただいたこの事は、今の災害支援や国際協力の仕事でも大切にしている。

森から戻った後の樹遷さんの講話や按摩功と参加者の質問の中で子どもとの氣の交流の話題があったが、我が家の二人の娘は、産前から産後にいたるまで「手当て」の中で産まれ、育ってきた。今も怪我をしたり、体のどこかに痛みがあると必ず手を当ててと来る。僕が氣功をすると、次女はすぐに横に来て、真似をして、昇降開合、站椿功をする。時々、僕の足や頭に手を当てたり、ツボを押してくれる。わずか5歳に力はないが、スーッと無垢な氣が通る。まさに氣で押しているのだった。普段から暮らしの中にこんな風景が当たり前にある。

 今回も裏方で典座として働いていただいた若者たちと会を振り返る機会を持った。全員が、「やってよかった、裏方だったからこそたくさんの学びがあった」と語っていた。典座の意味、氣の場を作っていくことの醍醐味、そしてそれに喜びを感じられる彼ら、彼女らを素直にすごいなあと思った。同時に懸命がゆえに周りが見えなくなっている事、一間後ろにまなざしを持つこと、下手なサッカーチームにならないことなど、30年前に自分が樹遷さんにお伝えいただいた同じ事を今の若者たちに語った。30年を経ても確実に若者に響いていることに驚いている。いのちに関わる智恵はいつの時代にも人から人へ伝わっていく事を今まさに実感している。

医は仁術といわれるが、人だけでなく、森や諸々のいのちへの氣遣いの大切さに気づいた若者たちはきっとよき医者になるだろう。若者たちの中にある念いを少しずつ形にしていく「いのちの学校」の今後に期待したい。                   樹恩記

樹遷の養生塾

「樹遷の養生塾(じゅせんのようせいじゅく)」 積極的にいのちを養う知恵と生き方、日頃からの生き方の知恵と実践の体系をお伝えしています。

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