杜のまなざし(45)

 ~木霊~

 今回、福井で開かれたいのちの学校に、その後参加者から様々な木霊が響いて来た。その中に、助講を勤めて下さった樹伯さんからの一文があった。

30年前、彼も今回参加した多くの若者と同年齢であった。樹伯さんの魂の響き、全文そのままにここに掲載させて頂く。 樹遷記



{二回のいのちの学校に参加して}

樹遷さんより「いのちの学校」を始めたいというお知らせが届いた。ここ数年、お話の折に「若者たちが人を救いたい、何かお手伝いしたいという尊い想いでいろんな災害地や紛争地にボランテイアで来るんだけど、生身感がなく、どうしても頭でっかちな行動で、かえって現地の方を傷つけたり、二次災害を起こしたりすることが多いんだ。純粋な想いだからこそ、切なくて、自分の経験を通してのいのちの知恵を伝えてあげたいんだ」と語られていた。その願いが形になり動き始めるんだと思い、お手伝いさせてもらうことにした。

呼びかけ人は、数年前より自分が北陸の地で樹遷さんをお呼びして企画していた養生塾に参加してくれてた若者達。参加するだけでなく、お世話する気持ちになってくれたこともうれしく思った。

「お世話する人のことを典座という、気の修練では一番大切と自分は考えている」

一回目は名古屋が会場。参加者の多くは20代前半の医療関係者という。お話していると、今年医者の国家試験ですとか、来年から実習ですというお医者さんの卵も多かった。皆「いのちの学校」が何というより、誘われたから、何か感じるものがあってという気持ちでの参加が多かったように思う。それでも、会の終了時には皆、こんな気持ち初めてとか、今まで求めていたものに出会えたようなといった、熱い感想を聞くことができた。

自身も初日の夜にフリースクールの現場でいのちの想いを実践してきたことを語らせてもらい、自分の今までを振り返ることもでき、何か人生の原点に戻れたような新鮮な気持ちをもらった。

 

ただ1回目を終えて正直、本当に皆に真の願いが通じるのだろうかという疑問も残った。自分の中にどうしても世間のお医者さんというイメージがあり、データーを見ながら患者さんを診ず、病だけを見つめ、人さらには環境も含めた丸ごとつながりのいのちでなく、病んでいるという部分だけを扱う医療。専門という名の「木を見て森を見ず」的いのちのまなざし。その現場にいつしか入っていくであろう彼らに、この集いの体験は新しい情報が一つ増えましたということにしかならないのではと、可能性も感じながら危惧も残った。

もちろん、医療関係以外の参加者も多く、自身のいのちを見つめたい、周りのいのちを癒やせる人になりたいという想いで参加したメンバーたちの感想もすばらしく、今、いのちそのものを見つめ大切に生きあいたいという感性を自然に持っている若者が多いんだなと喜びも感じた。

 

色んな想いを感じている中、次は北陸の地で、参加した若者達からやりたい、手伝ってもらえないかというお誘いが来た。事務局の方からも今回は助講師として参加してもらえないかというお話をいただき、前回感じた危惧や疑問を自分でも確かめたく、又今まで学ばせていただいた中で自分が伝えれること、そしていのちについて学びたいという純な若者たちの志の灯が燃やし続けれる力になれたらという想いで2回目は積極的に関わせてもらった。

 思えば30年以上昔、社会に出てストレスから心身をくずし、いくつもの病院に通ったのだが、どのお医者さんも自分を観てくれず数字とデーターでお薬出しましょうという診察。

周りが社会で成長していく中、体が思うように動かず人と比べ焦りだけがつのりそれがさらに心を追い込んでいく。観てほしいのは体でなくその心だった。          

そんな時不思議なご縁から東洋医学の方と出会った。会った時のにこっという微笑みでこの方は自分の苦しみを理解してくれていると、その場で元気になった。心身一如は東洋医学の基本、自分の病んでた時の経験から照らし合わせ東洋医学の理論が実感で理解できた。こんな医学があるなんて、でも自分には学ぶ力量もないだろう、そう思っていた時に樹林気功、樹遷さんに出会った。

「人は病んでた方こそ癒し人になれるんです。なぜならその悲しみ苦しみを知っているから」「人のいのちは孤立してあるのではなく、自然の、象徴として杜のいのちとひとつとしてあるんです、いのちに優劣はなくどこまでいってもひとつなんです」

お話の中で語られた言葉に自分の深い部分の心が頷いた。ずっと子供のころから追い求めていた真実を言葉としてそうだよと語ってくれる大人がいたと、全身で感動したのを今でも覚えている。そのような想いで、まなざしで人と関わり、生きたい。自分のいのちは生きとし生ける命と共にあり、その幸せが自分の幸せと言える人生を生きたい、そう決めた。

自分の特性が子供との関わりに向いているように思い、その後フリースクールという教育の現場で行き詰まる子供若者達といのちを育みあってきた。

病むこと、挫折すること、価値なきものと切り捨てられるいのち達に、寄り添い共に生きるまなざしを、参加する若者たち、特に医療関係者たちは持ってくれるのだろうか。

その危惧は二回目のいのちの学校で消えていった。

いのちについて語りましょうという初日。

その感想が本当に皆素直で素敵だった。医学部に入ってからいのちについてむしろ考えないようにしてきたが今日原点に戻れたという感想、こんな授業をもっと大学でしてほしいと語る若者。本質的なことを語るのを毛嫌いする時代の風潮の中でも無骨に命に人生に向き合おうとしている若者たちがいる。むしろ皆心の底では本当のいのちのありように飢えているのでは。

自分が20代の時に感じたことと同じ感覚を、今の若者たちも持っている。そのことに北陸でのいのちの学校で気づいた。金沢での杜に入りて、杜のまなざしという言霊に何人もの若者が反応していた。

彼らの心に芽生えたいのちの灯を、消したくない。

自身この世代ではかなり少数派のどちらかというと変わり者のレッテルで生きてきたように思う。命よりお金、肩書、権力等々。自分の中にどうせ世の中なんて、という言葉が浮かんでいた昨今。

この二回のいのちの学校での若者達との交流、そして樹遷さんのお話にすっと頷ける感性の若者達を観ているうちに自分の中で情熱がふつふつと湧いてきた。いのちの時代がやってくる。自分が30年前に出会った感動を人生の軸に生きてきたように、この若者たちもきっと30年後この感動を自分の人生の主軸に置くに違いない、そんな確信が芽生えてきた。

60年という人生を生きてきて樹林気功で学んだいのち観でどれほど豊かに生きてこれたか。だがこれを次世代に伝えれて初めて意味のあるものになると思う今日この頃。

いのちの学校に多くの若者が参加できるよう自分の時間を注ぎたく思う。楽しみと喜びと共に。

いのちの学校は気功の技をお伝えする場でないし、病気直しのコツを教わるところでもなく、人より優れた何か新しい知識を得る場でもない。すべての「いのちを愛せる」というあたたかな人生を生きていく生身の哲学を深めていく場であると思う。自分を周りを愛せるようになりたい心の若者よ、共に集い学びあわないか。樹伯記

樹遷の養生塾

「樹遷の養生塾(じゅせんのようせいじゅく)」 積極的にいのちを養う知恵と生き方、日頃からの生き方の知恵と実践の体系をお伝えしています。

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