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記事一覧(3)

杜のまなざし(16)

「治部煮」~風土の氣食~ 過日、春分の候、金沢の養生塾の集い、氣食に「治部煮」が出された。体内の気を季節の氣に寄り添わせる智恵、それが氣食。風土に育まれた食には、この智恵が詰まっている。春の氣はもうそこにあるものの、北陸の地では寒暖往来のこの時期。未だ春の氣への転換準備が出来ていない方、冬の体の儘の方々、そうした方々への郷土の伝統食の智恵のレシピです。  それにしても、じぶ煮と言う名前はどこから来たものだろう。じぶ煮と言う料理名は、延宝二年(1674年)刊の『江戸料理集』に既に見られるという。もっとも名の由来には諸説あるようで、定説は無い。私個人としては、諸説の内キリシタン大名高山右近にまつわる由来譚に興味を惹かれる。 秀吉の宣教師追放令に逆らい、信仰を棄てなかった為、当時播磨明石の城主であった右近は、城主としての身分を失い、浪々の身となった。その後、加賀藩主前田利家の招きを受け、その庇護の下に。その折、右近と共に行動した宣教師の名前が「ジブ」であったという。また、一説にフランス料理のジビエからとも。どちらにせよ、真鴨の肉を使った(高貴な身分の方々は鶴の肉を用いたとか)この料理は、高山右近やキリシタン宣教師との係わりから生まれたものと想像してみると、金沢の郷土料理として定着した歴史の味わいも楽しめる。 さて、当日の「治部煮」、氣食担当の方々の粒々辛苦の工夫、風味豊かな一品であった。* *養生塾春分の候氣食のレシピについては、別稿『氣食暦』に後日掲載します。 キリシタン宣教師のエピソードから連想が広がった。先日、ポトフを食べさせるというカフェを知り、食べに立ち寄った。かつて、20代から30代の十数年をフランスで過ごし、バカンスで招かれた友人の家で、友人のお母さんやお祖母さん手作りのポトフに舌鼓をうった。食卓を囲んで、みんなでフウフウ云いながら味わった家族団欒の味。懐かしさに食してみたが、残念ながら、ポトフというには程遠いものだった。Pot au Feu(火にかけた鍋)、ドイツでは、アイントプフという同じ様な料理がある。色々な野菜と、肉の煮込み、フランス人にとってはそれぞれの家庭の味があり、家庭料理の代名詞とも言える。しかし、キリシタンの遺したジビエ料理が治部煮になったとしたら、何れ北陸の郷土料理としての「ぽとふ煮」も生まれるのかも知れない。北陸の地で、郷土料理となったそのレシピはどんな風味を醸しているだろうなど、あらぬ想像をしてみている。

氣食暦み

~きしょくのいい話~ 「立春の候」 古代中国黄河中流域に住んでいた人々の智恵『二十四節気』は、春分点を起点として、地球が太陽を巡る一周360度を15度ずつに24等分し、おおよそ15日間の区切りで各気の自然の推移を示す工夫がなされています。更に、この24節気を約5日毎に区分した72候で、細やかに気象や動植物のいのちの移ろいを感じ取れる様に編まれています。 日本には、6世紀頃朝鮮半島の百済を経て、この暦が伝来したと云われていますが、黄河流域とは異なる気候風土の日本の実情に合わせ何度か改訂され、また二十四節気七十二候を補い、より日本の気候風土、人々の暮らしに寄り添った日本独自の『雑節』(節分、彼岸、社日、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日)も加えて、今日でも季節の目印として私たちの生活の中にも息づいていますね。 私たちの体の中でも、この24節気のいのちの移ろいは起きています。新たな季節の変化に備え、また季節の推移に体の季節変化がついて行っていない時は、その微調整をするのに『氣食』の智恵があります。食をもって、わたし達の体内の24節気72候を調え、いのち豊かに季節を楽しみ、すこやかに過ごす工夫です。氣食は、季食なのです。 その先人たちから数千年に渉って伝えられてきた氣食の智恵を、『氣食暦み』として、折々お伝えします。 過日新暦立春の候、北陸白山麓の杜のお仲間のお家を拝借して養生塾の集いを行いました。その折りの氣食レシピをお送りします。立春は、とうに過ぎておりますが、南北に長い日本列島、地域によってはまだまだ立春前後の候のところも在る事と思います。また、本来の太陰太陽暦(旧暦)では、旧2月4日(旧立春)は新暦では3月10日に当たります。この氣食レシピお役にたてば幸いです。 氣食の組み立て方などは、追々ご説明します。先ずは、一品でも二品でも作ってご覧になってみて下さい。もっと詳しく知りたいと思われる方、養生塾にお出で下さい。氣食の風景を楽しんで頂けます。 過日のレシピは下記の通りです。------------------------------------------------------------------ [2019年立春養生塾氣食メニューと心]腎の補氣を中心に、特に今年は乾燥が強く風邪が流行っていることもあり肺の氣の整え、季節の転換点ゆえ胃脾の氣の整え、また春を迎えるにあたっての肝の氣の調整。夕食:〇みぞれ鍋「きのこ、さといも、白菜、人参、大根、あげ等」 冬の寒を体からとるにはやはり内から温めること、まずはお鍋で温めます。具材も根菜類中心で体を温める。〇春菊のチヂミ風「春菊、芝エビ、じゃこ、小麦粉、茯苓」 生薬の茯苓を使い、冬の間にたまったむくみ(水毒)をとっていく。エビ、じゃこは腎の氣の補いに。春菊の苦みは心の氣の調整〇レンコンと玉ねぎの甘辛炒め「れんこん、玉ねぎ、鷹の爪」 甘みで胃腸を癒し、辛みをうまく使い、肺に刺激を与え、氣の巡りをよくする。〇大根とツナの豆乳あえ「大根、ツナ、豆乳」 大根の甘み辛みと豆乳は、胃脾と肺の整えに。〇カブの酢のもの「かぶ、人参、塩昆布、ゆず」 酢のもので春の肝の気を整えていく。ゆずの黄色で色のバランスを。〇みかんの炊き込みご飯「鶏肉、きのこ、人参、ごぼう、かんきつ類」 炊き込みで甘みをとりつつ、かんきつ類で軽く酸味をとり、食欲を上げる。〇デザート「さつまいも、りんご、シナモン」朝食:〇五穀米、具だくさん味噌汁、干物、お漬物、温泉卵 全体に胃脾の働きが増すような食材を使い、味付けに腎の氣の塩味をとりつつ、全体を整えていく。色は、赤、黒、黄、白、青をバランスよく食材で取り入れていく。※写真は後日、アーカイブに掲載いたします。

杜のまなざし(15)

 「抱護」 抱護という言葉に出会ったのは、沖縄で読谷村の各字の文化財マップを作成する作業を手伝っていた時である。 ウチナーグチでは、「ほうぐ」とも、「ぽうぐ」とも。字の古老に戦前の集落について、聞き取りをしていると、この「抱護」について語られることがあった。また、戦前の集落の絵図などを見ると、集落周囲に木々が繞らされ、抱護と書かれているものもあった。 その抱擁し、守るという言葉のイメージの優しさが心に響いた。残念ながら、沖縄戦、その後の米軍による土地強制収容、基地建設などで抱護の多くは失われた。本土復帰以降の開発が抱護消失に止めをさした。 現在抱護の名残を見ることが出来るのは、沖縄本島では本部半島の備瀬の集落、宮古群島の多良間島、離島の開発の及んでいない海岸そして山原の森などである。 今日、抱護は防風林や、防潮林などと理解されている。「抱護林」などと表現する方もある。しかし、抱護について調べて行くと、どうも単なる防風林や防潮林とは、結果としてその様な働きもするが、根本の思想が違うと思えて来た。 詳しく解説するには一書をもってしなければならないが、端的に云えば集落景観、山林景観、島全体の景観を形成する根本思想である。自然を抱き、自然に抱かれる。人間と自然は生命体として平等な関係にあるという精神がそこにはある。 因みに、この「抱く」という概念は、沖縄の精神世界の根底をなすもののように思われる。八重山の古謡に、「潮を抱いておられる大親・島を抱いておられる大親」、「弥勒世を抱き下ろした・神の世を抱き下ろした」、「親村におし抱かれて」などの言葉が波照間島、竹富島、石垣島新川村などの歌謡に唱われている。また、琉球古典舞踊では、「甕を抱くように踊る」ようにと心得が教えられているという。「琉球文化の基層には、人々を抱き、集落を抱き、島々を抱き、宇宙を抱く、という壮大な生命観が宿っていて、それは言い換えれば生命繁盛の精神文化といえる。」(仲間勇栄2012)という文章に、美事にその本質が書かれている。抱くという、本質的人間の優しさの風景。 「抱護」の概念は、本来中国由来の風水思想にある。「抱護」と言う用語は、近世沖縄の傑出した琉球王府の政治家(三司官:現行の国務大臣にあたるだろうか)にして、沖縄の山林を荒廃から立ち治らせた卓越した森林行政の指導者でもあった蔡恩の活躍以降、文献に現れることから、蔡恩によって沖縄の精神世界の根底にある「抱く」思想と結びついて、沖縄独自の風水的景観、自然観が産み出されたと思われる。 風水は、ともすれば迷信の類に見られがちだが、中国周代に始まり広く東アジア文化圏に伝播した「氣の地理学」ともいうべきものである。この風水の抱護という概念を、沖縄の自然環境、夏に頻繁に襲来する台風、冬の北よりの強風という厳しい自然環境条件を和らげる智恵として、また当時荒廃しきっていた沖縄の山林を復活させる実践として工夫したものがかつての沖縄の景観を織り成した「抱護」である。  抱護には、屋敷林とも言える家周囲を囲む福木:屋敷抱護、集落には集落後方の「腰当て嶽」「腰当て森(クサティムイ)」のウタキ(聖域)や先祖の墓地のある森を起点に集落を囲む様に繞らされた林帯:村抱護、海岸域のアダン、オオハマボウ、クロヨナなどで形成する浜抱護、もっと広くは行政区域全体に及ぶ様な間切抱護まである。