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「杜のまなざし」(6)

~色の氣~(1) 色の氣と言っても、色恋沙汰の話ではない。正に、色の持つ氣の話である。江戸後期から染め屋を営む「染司(そめのつかさ)よしおか」、古代色に関心をお持ちの方ならご存知と思うが、その6代目にあたる吉岡更紗さんの話を聞く機会を得た。先代の吉岡幸雄さんは同学で、その古代色探求の姿には常に注目してきた。様々な古代色の中でも、就中正倉院御物の紫染めの探求は、吉岡親子代々のテーマである。西洋では、紫染めにはアクキガイ科の貝の分泌腺(パープル腺)から採ったものを使った。貝紫である。日本では紫草の根を染料として利用してきた。 漢方に詳しい方なら馴染み深い「紫雲膏(しうんこう)」という塗り薬の原料として使われていることをご存知だろう。紫雲膏、潤肌膏とも云う。局所の栄養状態が悪く、乾燥気味で、発赤、腫脹、浸出液が少なく、化膿していない肌トラブルに効能がある。紫根は、染料にも使われるが、解熱、解毒、殺菌、肉芽形成促進、抗腫瘍などの作用がある。 かつては、日本全国に見られた紫草、万葉集の額田王の「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」を思い出される方も多いだろう。この紫野とは、紫の染料をとる薬草の群生する野原の事である。今では、紫草の産地も稀少となり、日本国内では絶滅寸前であるという。現在使われているものは、中国からの輸入もので品質にばらつきがあり、思うような染め上がりにならず苦心したと更紗さんは語った。 ここに、志土知(しとち)という地名が登場する。かつては「紫土知」の字も使われたという。大分の山中、かつての阿蘇山や久住山の大噴火で噴出した火砕流に覆われた台地上にある。この地は、その土壌の特性により古代より紫草の採集地、栽培地として知られていたらしい。先の額田王の紫野もそうだが、紫野は紫草を栽培、管理する謂わば国営農場であり、野守によって管理されていた。『豊後国正税帳』にもこの地域を指す直入郡に薬草園があったと記載されており、収穫には太宰府使が視察に訪れたという。近年、この地で有志が紫草の栽培に着手した。その紫草によって染められた布を見た。正に、「紫の匂えるごとく」深い光を帯びていた。 「服薬」という言葉がある。今日一般的には、薬を服用することと思われている。本来は、薬草で染めた衣をまとう意であろう。紫草の他、藍、紅花、黄蘗、クチナシ、一位(イチイ)と上げれば、全て薬としての効能を持つ。古来四季の移ろいの豊かな日本では、四季の自然の彩りを衣に染め、身にまとい、四季のいのちの整えとしてきた。 吉岡更紗さんの話を聞きながら、身近な自然の四季の彩りの鮮やかな移ろいを生活景観から失った現代、私達はどのような色の氣による四季調身が可能なのだろうか、という思いに囚われた。