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記事一覧(15)

杜のまなざし(52)

~クリニコス~ 「にいさん、”クリニコス“って識ってるかい?」 その日、初めて会った二十代の路上生活者の「物語り」を、朝から昼近くまで、とつおいつ語るのに耳を傾けていた。ぽつりぽつりと語られた青年の「物語り」がようやくひと段落し青年が立ち去った時、近くの段ボールで囲われた毛布の中から、モソモソと“道傍の哲学者”がはい出して来た。 「ギリシャ語ですね。古代ギリシャ語では病人の枕元で、病人の語るのに耳を傾けること、という意味があったようで、医聖ヒポクラテスが医療の最も大切な心得として弟子たちに説いたと伝わっていますね。現在使われるクリニックの語源です。」 「やっぱりにいさん識っとったか。」 「聞き耳をたてていた訳じゃないが、うつらうつらしながら、あの若いのの話に相づちを打っているにいさんの声が耳に入ってきたんだが、にいさんのやっている事は正にクリニコスだなと思ったよ。」 「ここら辺りにやってくる自称ボランティアとか、福祉関係の連中は、わしらの話を聞き取りに来たと云うけど、結局自分たちの質問したい事だけ聞いて、こちらが本当に聞いてもらいたい事、話したい事をじっくりつきあって聞いてくれる事は無いさ。医者にしたってそうだ。病院に行ったって、検査、検査でわしらの話したい事に耳傾けてくれる医者はいないよ。だから、わしはどんなに調子悪くても病院には行かんし、これまでだんまりを通してきた。」 「ここまで落ちたわしらの話に耳を傾けてくれる奴はいない、とここにいる連中の殆んどはあきらめとる。だけど、本当は皆、気持ちの底では、うんと話をしたい、聞いてもらいたい。同情なんかはいらん。だが、じっくり耳を傾けてもらいたい、そうみんな腹の底では思ってるさ。」 「さっきのあの若いのの話も、全部が全部本当の話じゃあるまいさ。だけど、本人にとっては聞いてもらいたい話さ。にいさんは、それをしんぼう強く聞いとったな。わしらはうそをつく。だけど本人にとってはそれが聞いてもらいたい話さ。」 「私は、人間は物語りを作る動物だと思っています。他人から見たら、事実とは異なっていても、その本人にとって自分自身の物語りは「真実」なんだと思います。そして、「誰しも自分の物語りを誰かに心の底から聞いてもらいたい、話したい。人間は物語りたい動物でもあると思います。そして、人と人がいやし合う原点は、他者の「物語り」を何の批判も分析もせず、耳傾け、受け取る事から始まるように感じています。」 「そうだな。そこだな、にいさん。」 道傍の哲学者は、毛布を体に巻き付けて、自らの思考の淵にゆっくり沈んでいった。夕暮れが来て、そこを離れるまで、私もかたわらに座って一緒に「沈思」の時を過ごした。            樹遷記

杜のまなざし(51)

~老い~ 路傍の哲学者との対話Ⅱ 昨年、知人の医者から、樹遷さんを診させて下さい、と。若い秘訣を知りたいから、と。結果、30代ですね。と言って下さった。何とも好意のてんこ盛りである。75歳、後期高齢者と呼ばれる年齢の私を、30代とは!知人には老眼鏡が必要なのではないか?と真剣に案じた。その後、折に、いたずらごころを出して、冗談として私は肉体年齢30歳です。と申し上げると、まともに受け取って下さる方々があるので当方はどぎまぎしてしまう。 そんな筈がなかろう。75歳は、75年間使い古した体であり、この世間でその年月受けた古傷を一杯抱えた心身である。 とは言え、私は自らが年老いて行くのを、甚だ興味深々で楽しんで見守っている。「なるほど、こうして人は老いていくのか。」と面白がっているところがある。 人の一生は、リハーサルの無い一回こっきりの舞台。しかも、予め与えられた脚本なども無い。20代では想像もできなかった年老いていくこのいのち。次のシーンにはどんな老いを見せるのか、自らの未知ないのちの風景、これ程好奇心を掻き立て、面白いものは無い。 私が若く見えるのは、この好奇心と面白がっている自分、それが若く私を見せるのかも知れない。 「この前は、にいさんと『死』について語り合ったな。」何世紀も人通りなど絶えて無いような路地の片隅で、久々の日の温もりを味わうように、二人で陽なったぼっこを楽しんでいた時、不意に路傍の哲学者が呟いた。 「老いる、とは人にとって、どんな意義や意味がある?」「いのちは次世代のいのちを生み、独り立ちさせたら、さっさと舞台から退場したらいいじゃないか。」「ついこの間まで、人生50年とか言ってたのが、いつの間にか人生80年になってしまった。」 この対話をしている路傍の哲学者も私も、むろんこの老いの世代である。  「いのちの織物を織る時間が昔よりゆっくり遅くなったのじゃないかと私は思います。」 「ほう、これほど効率優先主義の何事につけスピーディーな世の中になったのに、にいさんはいのちの織物を織る時間は逆にゆっくりなったというのかい。」「そのゆっくり織られていくいのちの織物に関わり続けることがわしら年寄りのいのちの時間の意義というわけか?」 そこで、路傍の哲学者は別の次元に意識を移したのか、沈黙の行に入ってしまった。私も、腰を上げた。さて、皆さんにとって、老いとはなんであろう?考えてみてください。 樹遷記

杜のまなざし(50)

 ~路傍の哲学者~ 梅の香が馥郁とする。古びたビルの建てこんだ路地の奥、ビルに挟まれ押しつぶされそうな更に古びた木造家屋、その塀から枝を差し伸べ、奇跡的にビルの間を抜けてきた日の光に花芽をほころばせた梅の木。 暫し佇んでその健気な梅の花姿と香りを愛でた。「主なしとて・・・、だな。」低いしわがれた声がした。「春な忘れそ。」振り向くと、この近くをねぐらにしている路上生活のおじいさんが、ひげを搔きながら梅を見上げていた。 コロナ禍の中の路上生活者の方々の窮状を見るに見かねて、彼らのもとを訪ね歩き始めた。当初はなかなか受け入れて頂けなかったが、漸く心を開いて様々な彼らの物語り、希望を少しづつ聞かせて頂けるようになった頃、このおじいさんに出会った。おじいさんと言っても、外見はそう見えるが、ひょっとしたら私の方がだいぶ年上かも知れない。初めてお会いした時から、暫くの間、彼は一言も発さなかった。ある底冷えのする日、その界隈の路上生活者の方々に温かなお茶と、温めた弁当を配って歩いた時、このおじいさんが最後になった。一緒に座って茶を飲んでいると、「死ってなんだ。」聞き取れないほど低い声で、おじいさんがポツリと言った。その日から、おじいさんと私の対話は始まった。そして私は、ひそかにこのおじいさんを『路傍の哲学者』、“ソクラテス”と心の中で呼ぶようになった。 「故あって、私は40歳以前に一旦死んだと思っています。その後は死を留保された余生だと思って、死を与えられるまで精いっぱい一日一日すこやかになすべきことをなし、死に向って歩を進めています。少なくとも、そうありたいと思っています。」 永い沈黙の後、「そうだよ。死を恐れる人もいる。自分一人で死ぬのが怖いからと言って、他人を巻き込んで自殺しようとする奴もいる。癌になったと判ると、何で私がと、怒り乱れる人もいる。人は、おぎゃあと生まれ落ちた瞬間から、死に向って日々一歩一歩歩んでいるというのに。」この瞬間、このソクラテスおじさんと私にとっては、この埃っぽい異臭の漂う冷え冷えとした道端も、アテナイのアカデメイアにも劣らぬ場と時となった。 「私は常々、すこやかに生まれ、すこやかに育ち、そこまでは世の人皆、そう思っているが、すこやかに病む、そしてすこやかに老い、その果てにすこやかに死ぬ、病も、老いも、死もいのちの波に過ぎない。と人様に語っています。」 また暫しの沈黙の後、「にいさん、あんたの言う『すこやか』は生というものが、日々一歩一歩死に向っての歩みだと言う意識に裏打ちされた自覚だな。古風に言えば、『覚悟』だな。それも底抜けに朗らかな『覚悟』だ。」「この辺りに流れ着いた連中でも、もう失うものはないはずなのに、まだ死を恐れ、病を恐れているよ。死を恐れる、病を恐れるという事には、貧富貴賤は関係ないな。人生を透徹した目で見通す覚悟は教育があるなしなど全く関係ない。」 この路傍の哲学者との対話は、私一人が楽しむのは余りにも勿体ない。これから、数回に渡りこのエッセイシリーズに掲載していきたい。 樹遷記

杜のまなざし(49)

 ~春待つ心~ 特別支援学校の生徒たちの書初めを見る機会があった。「春待つ心」~殆どの生徒が、多分教師から示されたお手本によって書いたのであろう同じ文言の書を書いている中で、唯一人「春待つ心」と書いていた。中学三年生のその女の子は、どんな春を待っているのだろう。どんな希望や夢や不安を抱いて春を待っているのだろう。どんな人生の旅路がこの子を待ち受けているのだろう、と暫しその書の前で時を過ごした。 コロナ禍も三年目、この春も先行き不透明な社会状況の中、新たな旅立ちの春を待つ若者達、孤立感を経験し、様々な世代の人々との交流の希薄だった世代の若者達。閉じ込められた様な日々から、マスクを外し、思い切り自由な他者との交流、気兼ねの無い行動を出来る春を心より待っているのでは無かろうか。否、若者だけではない。世の全ての人々が切にそんな春を待つ心であろう。 昨年、こうしたコロナ禍の中だからこそ、立ち上げたいのちの学校、その参加者の中に今年、医師や看護師の国家試験を受ける若者達がいる。コロナ禍の中、孤立感や閉塞感を感じながら、医師や看護師として世の役に立とうとここまで頑張って来た彼らにも春待つ心、善き春の訪れを心から祈っている。 看護師と言えば、「近代看護教育の母」と称されるフローレンス‣ナイチンゲールは、クリミア戦争時負傷兵達への献身的看護活動や、統計を基にした医療衛生改革で著名であるが、そうした活動によって「クリミアの天使」「白衣の天使」と称される。しかし、ナイチンゲール自身はそうした世の評価を喜んではいなかったようだ。「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である」と述べている。 そのクリミア半島を含むウクライナに、昨今戦争前夜を思わせるきな臭い緊迫感が再び漂っている。ヒト科のヒトと言う生き物はどこまでいっても、過去から学ばない生きものなのだろうか。 春待つ心には、独裁者の欲望の幻想は要らない。    樹遷記

氣食暦(16)

~冬至の候~ 前回、氣食(15)を書いて以来、早一年が経った。コロナ禍の中、生活困窮に陥った方々の支援、そこに海外の難民支援の要請、奔走する内にこの一年は過ぎて行った。 今日は冬至、大気の乾燥度の進むこの頃、乾いたしつこい咳に悩まされる方に会うことが多くなった。その方々に、以下の氣食粥を試されることお勧めしたい。 【二冬粥】材料:麦門冬10g 天門冬10g (どちらも、漢方生薬を置いている薬局で)   米80g                    氷砂糖15g又は蜂蜜好みで麦門冬はユリ科ジャノヒゲの根粒。天門冬はユリ科クサスギカズラの根作り方:麦門冬、天門冬を茶袋に入れ、土鍋に水200cc入れ半量位まで煎じる。       煎じ汁は取り置いて、土鍋に水をたっぷり入れ、強火で沸騰した所に    洗った米を入れ煮立ったら、弱火で煮込む。    そこに、煎じ汁と氷砂糖を加え米が柔らかくなるまで煮込む。好みで氷砂糖の代わりに蜂蜜を適量加えても良い。 氣食のレシピは、ほとんど日常の食材、採集した山野草などを使用するが、このレシピでは、麦門冬と天門冬という生薬を用いる。もっとも、ジャノヒゲにせよクサスギカズラにせよ私達の生活のそばに何気なく姿を見せている。沖縄の海辺でクサスギカズラが繁茂しているのを目にしたことがある。 麦門冬も天門冬も似たような効能がある。麦門冬が含まれる漢方薬には、痰の粘りつくような咳などに処方される麦門冬湯の他、温経湯、炙甘草湯、辛夷清肺湯などにも含まれている。天門冬は、滋陰降火湯や、清肺湯などに含まれ、どちらも補陰・潤肺・止咳の作用がある。 寒い夜には、ふうふうと熱々のお粥を召し上がれ。   樹遷記

杜のまなざし(47)

~冬至の候の集い~ 冬至も間近の去る17,18日、今年最後のいのちの学校が、旧甲州街道沿いの藤野、日連れ山系の山懐で行われた。今年三月より始まったいのちの学校、コロナ禍の中、中止に追い込まれたり、参加者集めに苦心惨憺と、練成会も含めると、よくも6回の集いを重ねることが出来た。そこには、共感をもって智慧を集め、実現に向け工夫を凝らした若者たちの努力がある。そして、その若者たちに呼びかけた発起人の若者の存在がある。 一人では何もできない。だけれども一人から始まる。正に、それを証明したこの一年であった。また、『感動』とは、共感して動くことである。若者たちが一人ひとり、共感の木霊の中で動き出し、いのちの学校は言挙げされ、この一年紡がれた。 ここに、その発起人の若者からの文章を載せさせて頂く。  樹遷記------------------------------------------------------------------------------------------------今回の藤野でもお忙しい中お越しいただきましてありがとうございます。樹遷さんとこうして、お近くで学ばせていただける機会、そしていのちの学校を、未熟な私たちですが、若者中心に樹伯さん、樹恩さん、事務局スタッフの方など様々なサポートのある中、創らせていただく機会を与えていただいていること、深く感謝いたします。樹遷さんのいつも伝えてくださる、いのちへの眼差し、向き合い方、そして生き方そのものを本当に時間が許す限り、学ばせていただきたいと強く思っております。そして、まだ出会わぬ方も、必要としている方々は多くいるので、一つずつ、縁を広げていきたいと感じております。二年前に、北陸の養生塾の会で初めてお会いして、この1年は3月のいのちの学校愛知、北陸、広島、そして藤野の計4回そして、樹遷さんのご厚意で実現した錬成会(愛知、北陸)も含めますと計6回も関わらせていただき、本当に感謝してもしきれません。 今回の藤野では「謙虚さ」と「共感」ということにつきまして深く印象に残りました。 謙虚さは、樹遷さんが初季と私との2人に前夜に和室でお話ししてくださったことです。人は弱いので、誰しもが認めてほしいが故に、してあげたい、力になりたい、が前面に出てしまうと思います。誰かのためにとの思いは素敵ですが、それが自分の押しつけになっていないか。なおさら歳を重ねて、褒められたり、感謝されたり、ある意味プライドが出てきて、どんどん自分で気をつけないと一方的になってしまうと思います。特に医師として進んでいくとなおさら気をつけないとそう思ってしまうように思います。1人では誰しも生きられません。生きていること、全てお陰様で、積み重ね、磨きながらも、謙虚さを忘れずにいることは、今後の私にとっても戒めの有難いお話でした。 共感につきましては、ホームレスの月経痛に苦しむ少女のお話がとても印象的でした。今の医療では、「痛い」ということに関して、原因を探すため検査をし、薬を処方し、という流れです。もちろんそのことによって助かる人もいますが、本当に彼女が求めていたのは、それではなかったということ。「痛いね」というその一言の共感だったということ。誰にもわかってもらえないと思っていた、死にたいとまでも思っていた彼女の痛みに対して、共感し合える樹遷さんとの出逢いによって彼女の奥深くの扉が開き、真に癒された時、彼女はたくさんたくさん泣いて、そしてなんと痛みがなくなっていたということ。 言葉だけでは全てを表せられず歯痒さも感じますが、「いのちといのちの 奥深い 交流」 そして 「どのいのちも持つ 癒しあい 引き出される 生命力」それがあるということ。出逢いの中で、生きたい、生きていてよかった、と1人でも思う人がいたら、もう与えられたいのちとしてこんなにも嬉しいことはないのではないかと感じます。生身の感性を日々積み重ね、磨いていけば誰しもがこうして癒しあえると思うと、私も一歩一歩積み重ねていこうと思います。人生は様々な選択の連続で来年1年どうするかもまた、私にとって一つの分岐点となるような選択です。人によっては、医師という道である意味影響力を良い方向に用いることで多くの人を救える存在になれるよという方もいて、その考え自体も確かにそうだとも感じます。私は医師になりたくない、というわけではありません。尊いお仕事だと感じます。私は樹遷さんと出逢って、「いのちとして癒し合う」というのが人生のテーマとなりました。しかし、すぐに研修医に進まないといけないのかというと、今はそう思えていません。もちろん研修医になることで、見えなかった様々なことも見えると思うので、いずれにしても樹遷さんがお話ししてくださったように、奢らず、謙虚さを忘れず、本質を磨いて進んでいきたいと思います。  優稀乃記

杜のまなざし(46)

 ~”物語ること”②~ 科学においては、事実の発見とその事実の証明が、またその第三者による再現性が重視され、それによって近代科学は成り立ってきた。しかし、こうした科学的思考は、事実求是という事をあらゆる価値観にも錦の御旗として持ち込んでしまった。こうした擬科学主義的論理は、現代社会から”物語る”ことの豊かさ、それを許容、享受する寛容さを失わせている。人々は、窮屈な”事実”に取り囲まれ、窒息感を味わいながらも、その”事実”の中で、各々の役割演技をストレスを貯めながら、息切れしながら演じている。ポストモダン、近代超克が語られて久しいが、もうそろそろ事実に縛られず、物語る豊かさを取り戻したいものである。そして、一方物語を聞き取る豊かさも取り戻したいものである。多様性などと言う表現は、そこにはもはや不要となる。いのちとして、いのちの物語りに向き合う、いのちの双方向の風景が拓けていく。 最近、いのちの学校に参加して下さった若いお仲間から素敵なエッセイが届いた。ここに掲載して、皆さんと分かち合いたい。  樹遷記 -------------------------------------------------------------------------------- 樹遷さんが何度か今までお話ししてくださっている「物語る」ということに対するお考えやお気持ちが、私の心を豊かにしてくださいました。 あれから、度々「物語る」ということについて考えています。あまりにも今まで「物語る」機会が少なすぎたと実感しました。それを取り戻すかのように、だれかが書いたエッセイやら、小説やら、映画やら、たくさんの物語を取り入れているように思います。自分の物語ではなくとも、自分とは遠く離れた見ず知らずの人が書いた物語でも、感じるものがたくさんたくさんあふれてきました。だれかの物語に入っていくと自然と涙が出ます。 樹遷さんは以前、『事実よりも真実を大切にする』ということもおっしゃっていましたね。 だれかが話す物語は事実とは違うかもしれないけれど、その人の中では真実なんだ。だから、その真実の物語の中に入って聞き入ることが大切なんだと教えてくださいました。本当にそうだな、と実感しています。 社会の中で生活していると、「あなたは何をしている(してきた)人なんだ」とか「あなたは何者なのか」とか経歴やら肩書きやら職業やら形あるものが重視されて、そういったことばかり聞かれます。 私はそれが窮屈で苦しかった。そういったことを並べても、何も自分というものが相手に伝わる気がしなくて、悔しかった。 そうじゃなくて、「何のどんなところが好きで、それをどんな風に自分の中に取り入れたか」とか「こういう瞬間のこういう言葉や表情に心を動かされた」とか、曖昧な形のものの話をしたいと思っています。言葉にならないようなことです。 そういったものが、わたしのすきなエッセイ、小説、映画などには表現されていて、そういうものを最近はとても欲しています。何よりそれらの物語の中にいるときは、生きている気がして幸せです。 うまく伝わるかはわかりませんが、物語の中にいる人物は自分とは違う人間だし、その人は世界でたった一人の人なのだけど、わたしもその人になり得るなという気持ちになります。これまでは全く自分とは違う人間だと信じて疑わなかった人、例えば、工事現場のおじさんや、コンビニの店員さんにも、最近は「わたしもその人になる可能性があるのだな」という気持ちになります。それが最近の心の中の大きな変化です。「目の前の他人とわたしは違うんだ」という考えから、「一人一人は替わりがいないたった一人の人間だけど、同時にわたしも目の前の他人である可能性がある」という考えに変わりました。 ほのこ記

『いのちの学校~北陸の杜にて』

 コロナ禍の中で産声を上げた『いのちの学校』、その第一囘から典座さんとして、伝え手として参加して下さった樹恩さんから感想文が送られて来た。 思い返せば、樹恩さんと出合ったのは早30年も以前。樹恩さんも、今回いのちの学校立ち上げを共にして下さった20代の青年たちと同じ年頃だった。全国各地の森を共に歩き巡り、屋久島で共同生活もした。 30年後、今度は彼が若者たちに語りかけて下さっている。先達方が紡ぎ、積み重ねて来られたいのちの智恵の伝承が、こうして新たな広がりを織り出して行く。 樹遷記「いのちの学校~北陸の杜にて」                 樹恩(吉椿雅道) 3月の愛知での「いのちの学校」の立ち上げに参加させていただいた。30年という時を巡って、新たに若者たちの中に生まれた胎動のようなものを感じた。何かを求めて全国各地から集った若者たちの姿は、30年前の自分と重なった。同時にそんな若者たちを微力ながら自分が支える時期が来たのだと思った。その後、愛知の集いの典座を担った二人の若者と樹伯さんとオンラインで振り返りの会を持った。参加者の感想はどれも若者の感性があふれていた。そして彼女たちは、念いに突き動かされるように懸命に汗をかき、多くの学びを得ていた。その想いを聴くと、30年前の自分が感じた事、学んだ言葉があふれ、彼女たちにお伝えした。彼女たちは、それをしっかりと受け止めてくれたようだった。6月の北陸の集いは、都合がつかず参加できないはずだったが、急遽予定がキャンセルになり、家族を伴って北陸へと向かった。「コロナ禍の時だからこそ、娘たちに樹遷さんたちと共に北陸のブナの森を味わってもらいたい」と妻と話した事が背中を押した。人前になると少し緊張し、大人しくなる娘たちが、森に入るとすぐに心身が拓いていく感じが見て取れた。自分から先を歩き、ブナの森の氣、そしてお兄ちゃん、お姉ちゃんたちの氣に包まれるようにしっかりと歩いていた。金沢の友人家族も参加してくれ、7歳の娘さんも森で感性が拓いていくようだった。 医王山の森に入る際に、その作法をお伝えさせていただいた。森の中で目を閉じ、自分の内を味わう。そうすると今まで聞こえていなかった樹々のさざめき、風のささやき、緑の香りに気づく。参加者の方々も自分の体が、そして心が変わっていくことを感じていたようだった。森で心安らかに息を吐く。そうしているうちに、いつの間にか森からのまなざしに気づき、一方向ではなく双方向に交流していることを感じる。30年前に樹遷さんからお伝えいただいたこの事は、今の災害支援や国際協力の仕事でも大切にしている。森から戻った後の樹遷さんの講話や按摩功と参加者の質問の中で子どもとの氣の交流の話題があったが、我が家の二人の娘は、産前から産後にいたるまで「手当て」の中で産まれ、育ってきた。今も怪我をしたり、体のどこかに痛みがあると必ず手を当ててと来る。僕が氣功をすると、次女はすぐに横に来て、真似をして、昇降開合、站椿功をする。時々、僕の足や頭に手を当てたり、ツボを押してくれる。わずか5歳に力はないが、スーッと無垢な氣が通る。まさに氣で押しているのだった。普段から暮らしの中にこんな風景が当たり前にある。 今回も裏方で典座として働いていただいた若者たちと会を振り返る機会を持った。全員が、「やってよかった、裏方だったからこそたくさんの学びがあった」と語っていた。典座の意味、氣の場を作っていくことの醍醐味、そしてそれに喜びを感じられる彼ら、彼女らを素直にすごいなあと思った。同時に懸命がゆえに周りが見えなくなっている事、一間後ろにまなざしを持つこと、下手なサッカーチームにならないことなど、30年前に自分が樹遷さんにお伝えいただいた同じ事を今の若者たちに語った。30年を経ても確実に若者に響いていることに驚いている。いのちに関わる智恵はいつの時代にも人から人へ伝わっていく事を今まさに実感している。医は仁術といわれるが、人だけでなく、森や諸々のいのちへの氣遣いの大切さに気づいた若者たちはきっとよき医者になるだろう。若者たちの中にある念いを少しずつ形にしていく「いのちの学校」の今後に期待したい。                   樹恩記

杜のまなざし(44)

~いのちの学校風景~ 3月に開催された第1回のいのちの学校愛知に引き続き、第2回が福井で催された。このコロナ禍の中、主催の若者たちも、参加者も、裏方の事務局も様々な条件を工夫配慮で乗り越え、今回の福井でのいのちの学校となった。医王山での杜のまなざしを味わうひと時、前日の福井市内での講演とワークショップ、愛知の時とはまた一味違った和やかな時が流れた。 終了後、早速事務局や、私に直接頂いた参加者の、今回の運営にあたった若者の、そして典座として私を支えて下さった樹伯さん、樹恩さんからのお便りの一文をここに掲載させて頂きます。尚、敬称は略させて頂きました。 参加者のお一人、以前杜にご一緒した室崎恵子さんからのお便りには、「2年前、樹伯さん主催で白山の杜に入ったとき、 樹遷さんから『植物に知性がある』というお話を伺いました。それまで知ることのなかった世界を垣間見たような衝撃を感じたことをよく覚えています。今回も『樹に視覚がある』というお話に感銘を受けました。視覚を持っている樹木さんたちに見られていると思うと、愚かなことはできないなという気持ちになりました。人間は自然の一部なんだと、思いあがってはいけないということも感じました。樹遷さんにお会いしたのは今回で4回目になりますが、今回参加してみて、『命ひとつらなり』を少しだけ感じられたような気がします。しかし日を追うごとに感覚が薄れていってしまうのがとても残念です。あの日体験したことを忘れないように、毎日の生活のなかでたびたび思い出しています。樹遷さん、事務局の皆さま、貴重な機会をいただき、誠にありがとうございました。」室崎恵子記 今回、典座をお勤め頂いたお一人樹伯さんから、黒子としていのちの学校運営に当った若者たちを陰から支え続けた事務局スタッフに、「本日、二日間にわたる北陸でのいのちの学校盛会に終えることができました。運営自体はまだたどたどしさはあるものの、若者達純粋な想いで懸命に会の盛会に向け力合わせていたように思います。終了時の分かち合いの時間に流れた穏やかで、優しい気の風景が心に残りました。このような会に助講師として声かけいただき、また場を共有する機会いただいたこと心より感謝します。いのちの学校の想いを共有し、できるお手伝いこれからもさせていただけたらと念じています。これからもよろしくお願いします。間つなぐ、大変難しく時間のかかる事務局のお働き敬意表します。ご報告とり急ぎ。」樹伯記 また、今一人典座を勤めて頂いた樹恩さんから私宛に、「この度は、若き方々が中心になって北陸の地で、いのちの学校の二回目が開かれた事、僕自身もとても嬉しく思っています。また妻や娘たちも樹遷さんやご参加された皆さんと一緒にブナの森に入る事ができ、ありがとうございました。娘たちも徐々に心身が拓いていく様子が感じれて、連れてきて良かったと思っています。容子も同様に感じており、自身の食や子育てへの思いもより深まったように思います。いともことも楽しかったと言っていました。また樹遷さんとお会いできる事を楽しみにしています。樹遷さんもコロナでお忙しいとは思いますが、どうぞご自愛ください。樹遷さんよりいただいた若き人たちとのご縁をこれからも大切にしていきたいと思います。ありがとうございました。合掌 」 樹恩記 そして、今回のいのちの学校準備運営に携わった学生諸君4名を代表して、服部優希君からは、次のようなメッセージが届いた。「事務局の皆様、樹遷さん、樹伯さん、樹恩さん、参加者の皆様、そして運営メンバーで今回のいのちの学校を作り上げられましたことがとても嬉しく、有難い事だと改めて感じております。本当にありがとうございました。」服部優希記 今一人の学生運営メンバー、加藤伶奈さんからも声が届いた。「この度は、いのちの学校を北陸で開催したいという私たち運営の思いを受けとめ、お忙しい中お越しくださり本当にありがとうございました。2日間いかがだったでしょうか。運営での反省会は今後行うためまだ皆の思いは聞けていませんが、私自身は1日目の感想でお話した通り、初めて運営として関わり、友人、知人に声をかける中で、学びを自分だけのものにせず仲間と共有できる喜びを知りました。参加者の皆さんからも参加して良かったという声を聞けて嬉しい限りです。」いのちの学校の風景の一端をお伝え出来ただろうか。今後、他の参加者の方々からのお便りや、ご質問が届くだろうが、その中でご本人の許可が得られ、公開できる文章は、引き続きこのエッセイ杜のまなざし欄に掲載させて頂くつもりです。 第3回のいのちの学校は、8月に神奈川県で開催される予定です。 樹遷記